ストロボみたいに

ミルクティー のめません

日記⑯ 梔子の花を見に

今は初夏、なんだろうか。まもなく夏至だけれど、六月はどうにも梅雨の印象が強く、まだ夏と言うのを躊躇う。だけど春ではない。さすがにもう春じゃない。私は四季の中でいちばん、夏が好きだ。それどころか、「この世で一番好きな物は何か」と訊かれたら、「夏」と答えるくらいに、夏が好きだ。

 

悪い町に帰ってよかった。長い時間電車に揺られ、どんどん高い建物がなくなり、空がひらけてゆく様をみつめ、そうしてあの町に辿り着く。私の町。私の悪い町。

駅を出てすぐに大好きな鯛焼き屋さんがある。寄っていこうと思ったら2月2日からお休みになっていた。店主のおばあちゃんはもうかなりお年を召しているから、いつまで続いてくれるだろうって思ってた。

あっ、と思った。

私が最後にそこを訪れたのは1月6日のことで、その時、「いつどうなるか分からないから。永遠に伝えられないのはもう嫌だから」そう思って、おばあちゃんにこう言ったのだ。

「私、ここの鯛焼きが一番好きなんです。」

おばあちゃんはうっとりと微笑んで、

「まあ、ありがとうございます。今年もよろしくお願いします。」

と、少女のように無邪気な顔で、そして上品に、言った。ずっとずっと年下の私にこんなにも丁寧に接してくれる。美しい言葉遣いだった。おばあちゃんと、このお店がまた好きになった瞬間だった。

 

伝えたいことはちゃんと伝えていたから、そこは「よかった」と思う。無理なく、健康でいてほしい。また鯛焼きが食べれたらそれはとても嬉しいけど、本当に、おばあちゃんの体と心の安らかさが第一だから。

 

なんとなく予感はしていた、から、私はそこまで驚かなかった。悲しいし寂しくはあったけど。

 

その次の日は雨だった。どこにも行けず、犬を愛でて過ごした。

 

翌日。良いお天気だった。くもりだったのだ。歩くならこのくらいの天気がちょうどいい。

私は歩いてお寺へ向かった。けっこう歩いた。景色も空気も良いから楽しい。紫陽花が綺麗なこの季節に帰ってきてよかったと心底思った。

そのお寺は「風鈴祭り」といって、風鈴をたくさん、本当にたくさん飾るイベントを毎年開催する。去年の夏に見に行ってとても素敵だったからまた見たくて、帰ったら見に行こうと決めていた。

土曜日だったせいか、家族連れとカメラを持った若い二人組の男性と、カップルと。思ったより人が多かった。そのお寺はInstagramで有名で、そこから来る人は多い。(実際私もインスタで知ったし)

毎時間、30分に5分間シャボン玉が出るのだけど、みんなそこでカメラを構えるから同じだと思われたくなくてちょっと時間を置いて写真を撮った。彼氏が風鈴とシャボン玉を背景に彼女をムービー撮影してて、「うわぁ」と思った。インスタに載せるんだろうなぁ。たぶん別れるな!

 

風鈴には願い事が書いてある。私も去年友達と書いて、吊るした。色んな筆記で、色んな願い事が書いてある。子供も大人も。

 

まだ時間に余裕があったのでそのまま図書館へと向かった。図書館も行きたいなあと思っていたのだ。小さい頃、何度も通った場所。隣が美術館で、母が絵描きだったから、母に連れられて私と弟は何度もここに来た。美術館と、図書館と。小さい私達の幻が、たぶんそこにいる。それくらい、何度も、何度も。ずっと、ずっと。

 

図書館は静かだった。図書館や図書室のあのひんやりした空気が好きだ。静かで、清らかで、何かに没頭している、同じ空間なのにみんな別々の世界にいるような、不思議な時間。ここにいると時間を忘れる。現実が曖昧になる。本って、そういう力がある。魔力、みたいな。

図書館も図書室も、もう、一歩ドアをくぐりぬけたその瞬間から空気が違う。本当に扉一枚隔てて魔界にでも繋がってるような、あの感じは何なんだ。大好き。

学生が勉強してた。まじえらい。おじいちゃんもいっぱいいた。

本棚巡りをして、しばらく宗教のコーナーに滞在した。その中からオウム真理教の本を一冊選んで読んだ。子供が親の都合でめちゃくちゃになるのが胸糞悪かった。何が神様だ人殺し。

 

図書館の中に、お座敷になっている場所があってそこで小学生の男の子達が宿題をしていた。めっちゃ良い光景だった。眩しい。

開けっ放しの窓の向こうからちょっと非常識な声量の(図書館ではお静かに)おばちゃんたちの会話が聞こえてきた。おばあちゃんは会話の声がデカい。全部聞こえる。「あら〜」とか「こんにちは」とか世間話に始まり、こんな言葉が聞こえてきた。

 

クチナシの花を見に来たんです。でもまだ咲いてないのねぇ。すごく良い匂いだから」

 

クチナシの花を見に来たんです…!?

なんて、なんて素敵なセリフなんだろうか!ロマンティック!私も言ってみたい!「クチナシの花を見に来たんです」!言ってみたい!こんなセリフが出てくる女の人になりたい

 

帰りに、クチナシの花、多分これかな?というのを見つけた。一個しか咲いてなかった。確かに満開になったらもっと綺麗なんだろう。それは黄色の花だった。クチナシの花は咲き始めは白く、終わりが近づくと黄色くなるらしい。他の花よりも一足早く咲いてしまって、まだ仲間が目覚める前に散ってしまうのだ。かなしいけど、たった一人の鮮やかな黄色は目を引いた。近づくととても良い香りがした。ずっと嗅いでいたくなる匂いだった。

 

 

 

 

初めて。初めて、私から父に「会いませんか」と連絡をしてみた。帰って来てるので、食事でもどうですか、と。

十八の秋に会って以来だった。およそ二年半ぶりだった。

 

父は驚くほど変わっていなかった。驚くほど、なんて前置きしたけど別に今更驚かないし、「ああ、この人はずっとこのままなんだなぁ」と会う度に思う。それに対して呆れとか軽蔑とかそういうのはもうない。それらは通り過ぎた。なんだったら安心と面白さを覚えるくらい。

父に対しての私の感情も、通り過ぎてゆくのだ。いちばん激しいところを越えて、ゆっくり、ゆっくり。傷は変わらず残っている。忘れてない。でも私は受け入れていく。大人になる。時間が経つから。

私はずっと母を、幼い人だと思っていた。だけど父はその比じゃなくて、なんていうか本当に子供の頃から時間が止まっているようだった。母は多分、十九か、二十前半くらい。父は小学生か中学生くらい。そう考えたら笑えてきた。私は最近、髪を切って自分が美しくなった自信があるから、どう見ても私達親子は不釣り合いだろうなって、思った。だって私、この人のこと父親だなんて思ってないもん。大きい子供みたいだって。だらしない身なりも、運転中ずっと文句言うのも、全部「ヤバいなー」って通り過ぎてしまえるの。関係ないから。

 

父方の祖母にも数年ぶりに会った。それから従姉妹にも。本当に小さい頃に会ったきりで、もう小学六年生とかになっていてびっくりした。やっぱ子供は可愛いなぁ、この子達に会いに行きたいなぁ、と思った。

父方の家は本当にめちゃくちゃでクソヤバい。祖父が屑なのだ。アル中で、暴力とか振るっちゃう系の屑。十九の時駆け落ちして以来、祖母はずっと祖父に尽くしてきた。暴力を振るわれても、物を投げ付けられても、血が流れても。少し前またゴタゴタがあって、なんか警察沙汰になったり、祖母が貯金していた二百万持って祖父が疾走したり…とまぁ、そういう家だ。

 

久しぶりに会った祖母は白髪が増えていた。杖をついていた。可愛らしい人だと思う。でもどこか歪んでいる。この人のことがずっと分からない。初めて会った時からどことなく苦手だった。

小学生の従姉妹と、父に対しての接し方がほぼ同じだった。五十手前の男に、小学生に接するみたいに甘い口振りで話すのだ。父は祖母に、反抗期の子供みたいな態度で接する。邪険に、というか、雑、というか。そうしてもいい、みたいな。父の方が上に立っているように見える。でも違う。二人は依存し合っている。お互いに。祖母は父に子供っぽくいてもらわなくちゃ困るのだ。父だって、か弱い母さんでいてもらわなきゃ、ダメなのだ。

この家の愛の形は歪で、それも何十年、ずっと変わらない。ずっと、ずっと。誰が最初に死ぬんだろうか。そしたら何かが変わるのだろうか。変わるなんてこと、あるんだろうか。この人達の間に。

 

車の中で父と話した。

「お母さんも××ちゃん(私)くらいの頃不安定だった」

知ってる。

結婚する数年前、母が自殺未遂を何度かしたのを知ってる。母から聞いた。そんなに詳しくは知らないけど。知ってる。私のこれは今始まったことじゃないけど、でも。

「××ちゃん、お父さんの悪い所とお母さんの悪い所どっちも持って生まれてるから心配」

それ、お母さんにもおんなじこと言われた。「アンタは父親に似てネガティブで私に似て激しい」って。

知ってる。私とお母さんが似てること。私もそう思うもん。そしてお父さん。本当は貴方にもよく似てる。嫌だけど分かる。ね、貴方たち二人、おんなじこと言うのね。私ね、思うんだ。貴方たちにたくさん、たくさん苦しんできたけど、こういう時、どうしようもなく貴方たち二人の子供なんだ、って、親子なんだ、って、思うの。

 

大好きな町の午後。風が気持ちよくて、穏やかで、ちょうどいい天気で。私は父親から父親を感じたことにどうしようもない気持ちでいっぱいだった。はやく帰って泣きたかった。子供みたいにわんわん泣きたかった。苦しいわけじゃない。そういうのはもう、通り過ぎた。時間が流れてしまった。私は、まだまだ子供だけど、でも確かに大人になった。前より、ずっと。前より、少し。少し、少し。少しだけど確実に違う。それは案外大きなことで、だってもう、「許せない」とかそういう激情じゃない。凪いでるみたいだ。海が、穏やかに、ゆったりと揺蕩うように。私は船の上にいて、今はもう、波に呑まれることもなく、ただ一人ぼっちでどこか島国を目指してる。貴方たちのいない世界で幸せになることを夢見てる。

 

心配されていること、血の繋がりを感じたこと。嬉しいのか分からない。もっと大人になれたら。自分の気持ちが分かるのだろうか。正直に思うことが、できるのだろうか。

 

父が話す母の話は新鮮だった。凄く子供っぽいのだ。今になってそれが等身大の母だと分かる。母親じゃない、◯◯ちゃんな、母のこと。母の変な癖。やっぱりそうだよね、って笑った。絶対にお腹壊すって分かってるのに、いつも食べ過ぎるところ。学ばない。変なの。やめとき、って私いっつも言うんだけどね。いっつも食べすぎてお腹壊してるの。アレなんなんだろうね。

私はその時、とても娘らしく父と会話をしていたのだと今になって、こうして書いてみて気づいた。なんか、泣けちゃう。

 

もう、嫌なんだ。

貴方たちに心を惑わされるのは懲り懲りなんだ。

私は私の人生を生きるんだ。

通り過ぎて、「そんなこともあったね」って笑ってしまえるくらい。許したいんだ、貴方たちのことを。

友達みたいになればいいんだって思った。そしたら相性だってきっと悪くない。

でも、なんで親と友達にならなきゃいけないんだろう、って。苦しかったよ。ずっと苦しい。今だって。

 

私はね、貴方たちの元を離れて船の上にいるの。広い海を渡ってる。最初は小さな、ボロボロの船だったけど、だんだん自分なりにデコってかわいくて、キラキラした、ほら、ディズニーのパレードで見るような…ああいう感じになるの。行く行くは。人生ってそうじゃない?手に入れるの。自分の力を。力を持つの。

で、偶に、何処かで貴方たちと会って、ちょっとだけ滞在して、お母さんならお茶したり、雑貨屋を見たり、お父さんなら食事とか映画とか?ほんと、偶にね。数年ぶりに会ってさ。どうでもいい天気の話とかするの。もう、今更。貴方たちで泣きたくないの。いつまでこんな文章書くのかなって。多分ずっとだろうけど。会う度、私はきっと。それでも何かが変わっていく。関係も、感情も。ゆっくりと、流れていく。

 

 

花火はすると決めていたから。河川敷で、一人ぼっちで花火をした。すごく楽しかった。でも花火は、人とやる方が楽しいかもしれないと気づいた。ちょっとだけ寂しかった。

街灯が本当になくて、夜道は凄く暗い。もう暗闇だ。正真正銘真っ暗で、何にも見えない。バケツを持って帰り道を歩いいていると、私は、「今が死ぬのにとてもちょうどいい夜だ」ということに気づいた。これ以上ないくらいにちょうどいい夜だ、と。

この数日間、ずっと死ぬことを考えて生活した。今すぐじゃなくても、ああ、ここ、転落するのにちょうどいい高さだから抑えておこう、そう思いながら図書館から帰ったり、最期に何を食べよう、あのお店のシュークリームがいいんだけどな、今日開いてないな、とか。そして今、本当にちょうどいい夜だった。もうあんまり思い残すこともない。父にも祖母にも会った。友達も最近立て続けに会って、久しぶりに連絡を取った子もいた。身辺整理するみたいにスマホの写真を消した。これはいらない。これもいらない。全部消してしまおう。思ったより遅くなってしまって、早足で歩いた行きとは正反対に、帰りはノロノロ歩いた。私は私がちゃんとうちに帰ることを知っていた。そうして、自分の家に帰ることも。知っていた。

 

帰る日。昼頃には出ようと思っていたのに結局夕方になった。どうしても観たかったアニメがあって、一つ観たら止まらなくなってあれもこれも、とアルバムを捲るみたいに、あの頃好きだったものたちに触れた。

清々しい気持ちになって、明日からもまた人生頑張ろう、と思った。そうして私は、今の私が生活する街へ帰った。

また帰ろう。いつでもここに帰って来よう。ここはやっぱり、帰る場所がいい。ずっとここにいたいけど、帰る場所でいてくれる方が、いい。この町は私にとってそういう町だ。そしたらずっと好きでいられる。住むってなるとまた話が変わってくるしね。だってそういう町だもん。そこも含めて大好きなんだけど!

たぶん、次はお盆だね。私が一年でいっちばん好きな季節。それまでここで待っててね。君も、私の事が好きでしょう。私の悪い町。私達はきっと、あの頃から、十年も前から、十年経っても、

ずっと永遠に両想い。