ストロボみたいに

ミルクティー のめません

日記⑳ 夏の終わり

最悪だ。恋をしたかもしれない。好きな人ができた、のだと思う。最悪だ。

 

なんかもう最近また調子が悪くなってて、なんせ思い切り昼夜逆転していて、あの頃よりはマシだけど、それでも朝の5時とか6時に寝る生活がじわじわ確かに当たり前になってきて、こりゃやべぇなあ、と思いつつ、えーっと、新しい仕事探さなきゃって。さすがに掛け持ちしないと今のとこだけじゃ足りないし、でもまた新しいこと新しい場所で始めるの?こんなすぐに?もう今だってべつに余裕があるわけではないんだよ、毎日必死なんだ、すげぇしんどい、でもちょっとずつ仕事慣れてきて、そりゃ頑張ってるからね

頑張ってるのかさえ私は自信が無い

今日は休みだったけど、当然昼過ぎに目覚めて、だって眠ったのが朝で、あーだめだ仕事探さなきゃって探してそしたら夜になってご飯食べに行って、ねえ夜なのにまだチョコレートとラムネしか食べてなかったの、美味しい定食を食べてそういえば今日初めて見る光だなって、眩しい店内にいて気づいた。今日は天気が悪かった。寒かった。季節が巡ってるなーと思った。洗濯物回さなきゃだけどやる気でなかった。私の部屋は未だに電気がなくて、だから今日初めて見る明るいものだったんだ、そのチェーン店が。電気買いに行くか、と思ってわざわざショッピングモールまで歩いたのに目当ての電気は無かった。今月異常に運がなくって、小さい不幸が多いんだよね。水こぼしまくるし、いつもより奮発して買ったリップで唇被れてヘルペスできるし。まあもうそろそろ終わるよね、今月も。昨日と今日で二日続けて、特別に仲のいい友達が誕生日だった。だからこの季節は毎月焦る。もう夜は夏じゃないね。今はなんなんだろう。夏と秋の間ってあるよね。秋にしてはまだ昼は暑いし、でも夜はもう結構寒くなってきてもいる。夏の終わり、なのか。

お祭りに行ったら十三箇所蚊に刺された。りんご飴の林檎が渋かった。オマケしてもらったラムネが美味しかった。

しんどいなーと思いながら公園まで歩いて、音楽を聴きながらぼーっとしていた。あの頃すげぇしんどかったな、この公園に何度も来てた、桜を探してた。夏が過ぎて、今、また苦手な季節が近づいている。恐ろしくてたまらない。淀んだ紫色の夜空を見ていた。犬の散歩で犬と一緒になって駆け回る大人を見てたら人生悪くないかも、とか思った。

 

多分、初めて会った時から特別だったのだ。ううん、多分じゃない。本当は分かっていた。でも嫌だった。そういうのは嫌だ、って。全然会えないし喋れる機会もなくて、けど少しずつ話せるようになって嬉しかった。はやくまた会いたかった。もっと色んなこと話したかった。知りたかった。

夢のような夜だった。意味わかんない。仕事終わりで疲れてるのに、だらだら歩き続けて、他愛もない話をして、超楽しくて、わざと遠回りして、それでも足りなくて、閉店間際のファストフード店でドリンクを飲んで

他の人だったら簡単に訊ける下の名前も連絡先も訊けなかった。まだ分かんない、って言い訳だって分かってる。多分恋になる。嫌だなあ。どこかで絶対言い逃れできない瞬間が訪れる。あの時と同じだ。頑張るしかない。頑張ってみるしかない。

分かんないけど、でも明らかに他の人とは違う。とりあえず、名前を聞いて、連絡先を聞いて、食事とか、そうやって

 

あーーーーーーーーー

消えてく

君が消えていく

ガチ恋だった君のこと永遠にするってこの恋を馬鹿みたいに引き伸ばして、そうして思い続けて死ぬ、なんて

 

失恋したってメールを送ったリスナーさんに、「真面目に生きてたら誰かを好きになることなんていくらでもある」って、好きな声優さんがラジオで言ってた。凄くいいセリフだなって思った。その通りだなって思った。

 

夜の公園で、ひとりぼっちで、明日仕事なのにこんな文章書いて、帰ってお風呂に入って寝ないとなのに、でもどうせ寝れないし

多分今から帰って私のことだから頑張ってお弁当をつくる。そのために冷凍食品を買った

 

曇ってて星が見えない。ああほらもう、風の感じが全然違う。夏じゃない。夏じゃないんだよ。寂しいな。地元に帰りたい。悪い町に帰りたい。私の悪い町。君に会わなきゃ。会いたい。そろそろいいかもなんて。

そう言って、できる限り繰り返す。

この夏も色々あったしさ。あの子もいなくなっちゃった。貴方も、ねぇ、会いたいよ。昨日図書館で読んだ本が凄く良かったな。そういえば見たい映画あるんだった。見たかったプラネタリウム逃しちゃったな。あのアイス食べたいな。欲しい物沢山あるな。お金ないな。かわいくなれないな。

 

それでも生きて、明日もなんとかやるのだ。

上手くはやれないけど、頑張って、一所懸命生きるのだ。

日記⑲ はやく髪が伸びますように

十にも満たない歳の頃、「私は長く生きない気がする」と漠然と思った。

あの頃ファミレスではやたら和風パスタを頼んで、きなこが好きで、ジャーキーとするめが好きだった。今はファミレスのハンバーグが好きで、チョコレートやキャラメルやビスケットが大好きだ。

大人になりたかった。ずっとずっとはやく大人になりたいと思っていた。大人にならなきゃと思っていた。なろうとしてなれるものじゃないって知った。そういう意味で、「なりたい」などという気持ちで、なりたいと思う大人には一生なれないって知った。私が夢見てたのは大人なんかじゃないし、人間ですらなかった。

「強くなる」というのは傷付かなくなることじゃない。平気になることでもない。傷付いてそこから、をできるようになることだ。立ち止まったり、蹲ったり、寝込んだりして、それでも尚そこから這い上がること。自分の力にすること。

最近の口癖は「そんなに長く生きる気ないし」だ。

そんなに長く生きる気ないし

働いて、良い顔をして、疲れて、疲れてて、ずっと疲れてて、家では泣いたり笑ったり抜け殻になったりする。見たかった小説や漫画やアニメや映画を見て、未練みたいなものを潰してゆく。

健康ではないかもしれないし、元気でもないけど、まあ、生きてる。

夏が終わったから無双できなくてかなしい。

夏が好きだから、「夏だしね」とかおかしなこと言って全部受け入れられたのに。その魔法、もう効かない。

苦手な季節が近づいてくる。でもチョコレートが食べやすくなるし、ベリー味のスイーツも増えてくる。

生きてたら、の話だけど。まあ生きてるだろうし。

お腹空いたな。もう寝たい。寝るね。

おやすみなさい。

日記⑱ 暴発

私はもうティーンエイジャーではないのだ。たった一年前のことなのに随分前に感じる。少女の一年はやはり大きい。若い。若い若い。私。

七月が来てしまった。来月は八月だ。もうすぐそこまで八月が来ている。迫り来る。近づいている。好きな季節が。蝉が鳴き始めた。私は、蝉が鳴き始めたら夏だと思っているので、夏の基準を蝉の鳴き声においているから、だから今は夏だ。でも最近凄く雨が多い。ずっと雨が続いている。一日中雨が降る。天気が悪い。の割に今日は夕陽の時間だけ眩しい光が差し込んできた。窓を開ける。雲の合間をぬって光がこっちに向かってくる。ゆるやかな殺戮のようだった。光が差すということは、時として暴力だから。とても強靭な力を持って、貫く。私が何度夕陽に殺されたか。なのにどうして光をみたいと思うのだろう。綺麗だからだ。眩しくて、綺麗。届かない。

仕事を始めて忙しくなった。私は乗り越えたのだ。冬と、春。だいたい毎年調子悪い季節。夏は元気。色んなバイトをしてきた。だから今の職種が合うんだって知った。無駄じゃなかったなって思った。理不尽に罵声を浴びせられた過去も、人に頭を下げることも、全部サラッと流して微笑むことも。できるように、なる。

幸せってありふれたものなんだなって、仕事終わりに食べるご飯が美味しくてしった。疲れてヘトヘトで頑張って、そうして食べるご飯が美味しかった。帰り道、暗い中、月の綺麗な夜にお酒を飲みながら歩く。楽しかった。このために生きてるなって思った。

そうして私は最近、普通の日常を生きている。充実している。これでいいんだ、って思った。やっとこうなれた、やっとここまで来れた、って。私がこんな風になれるなんて、って。

残酷な日々も、ヒリヒリしたあの頃も全部あったから今こうしてるんだ、って思う。

そうそう、最近、長編小説を読み終えた。分厚くて、700ページある。中学の時に途中まで読んで読み切れてなかったやつ。ついに読み終えた。面白かった。バイトの休憩時間や眠れない夜に隙間を見つけて読んだ。また、新しい本を読まなきゃ。

文章に触れたい。文章に触れていたい。なんだろう。あのみずみずしい感覚は。本を読んだら心がスっとする。軽くなる。リセットされる。浄化される。無垢になれる。洗い流されるような。あれはなんだろう。どうして。みんながみんなそうじゃない。私は文章を読むと、そうなる。「はーっ」と恋の溜息をうっとりついてしまう。文章を読むと、胸がドキドキする。苦しい。恋なのだ。痛んだり、弾んだりする。恋だから。

良い物に触れると「書かなきゃ」と思う。自分も何か、何か作らなきゃ。生み出さなきゃ。書かなきゃ。書かなきゃ。じゃないと生きてる意味ない。死ねない。

私は死にたい。

やっぱり死にたい。

日常がそれなりに上手くいっても、幸せを感じても、普通でも、楽しいことがあっても、ずっと、もうずっと鬱だ。鬱を抱えている。この体の中。私の中。覗いてほしい。触れてほしい。ドロドロしてるから。それを好きだって言ってほしい。

だから、書くね。書けば全部上手くいく。書けば、良いんだ。私は、私の文章だけは絶対にとても良いんだ。だから、頑張るね。

「書けてない」と思う。

結局、あの頃も今も、ずっと、「書けてない」と思い続けている。だから書くしかない。もっと、もっともっと書くしかない。書かなきゃ。

普通じゃ駄目なんだ。遺すなら。遺すためには。満足するな。足掻け。まだ足りないって飢えていろ。欲するんだ。それをやめるな。やめるな。やめたら、終わりだ。

二十才。半分過ぎた。何を遺せる?ここからお前はどう生きる。二度とない夏を生きるには、どうする

日記⑰ 前夜

訳もなく悲しい気持ちになるから困る。気持ちの浮き沈みが激しくて、いつもいつも振り回される。私がいちばん私に振り回されている。夜だから?暗闇だから?もう嫌だ、はやく死にたい、終わりにしたい、この世の終わりみたいな絶望的な気持ちになって、でもそれももう当たり前の事だから上手くやり過ごして、やり過ごせてしまえて、そうして朝を迎えて…その繰り返し。なんとなく、なんか、ずっときつい。得体の知れないものがこっちに向かってくるような不安感が四六時中ある。怖い。怖い怖い怖い。ずっと眠ってたい。寝てる時が本当にいちばん幸せ。でも今日は凄く嫌な夢を見た。本当に凄く嫌な夢だった。私の心の傷は深いんだって改めて思い知る。あれは、どこ?山奥、高台、隔離されているみたいな、絶望的な場所。そこにあれと二人きり。車が坂を登った。なんで、何が起きている?どうして信じてくれないの。さみしいよ。

悲しい夢だった。私の潜在的な意識を綺麗に表した、とてもとても悲しい夢。

今日は良い夢が見れますように。明日も明後日もその先も。できるだけ幸せの中にいたい。目が覚めたら苦しみは味わうから。夢の中では穏やかにいたい。ふわふわ、ふわふわ。

今日はスマホカバーを作った。百円で買ったアイテムをびっしり敷き詰めて、本当にかわいい夢を作ったんだ。キラキラ、どこもかしこもキラキラ。今の私って感じだった。入れたい物全部入れてごちゃごちゃした感じ。おもちゃ箱は宝石箱。魔法少女になれない。なりたい。憧れはずっと憧れのまま。サマーギャル。七月来るね。女児の夢は永遠。いつまでも。いつまでも。そんな感じのデコ。今回はギャル強め。しかも夏強め。サマーギャルだ、サマーギャル。私ずっとギャルになりたくて、夏が来る度に「今年の夏こそギャルになるぞ」って思うんだけどやっぱなれねぇんだよな。でも今年は絶対なる。なっちゃうもんね。

あれだよほら、去年より好きを好きって言えてたらそれはもうギャルなんだよ。見た目が派手とかじゃなく、マインド。それがムズい。

はーあー全部やだなあ。履歴書なんて書きたくない。嘘つかなきゃだし。話したくないことばっか。見せられる人生じゃないよ。悪いことはしてないんだけど。

でもどうせ明日が来たら私は越えている。明日のこの時間には。もういっか。夏が来るからもういい。スマホカバーもこんなにかわいくデコったし。だってこれ変身とかできちゃいそう。それくらいかわいい。魔法のアイテムなんじゃない?作れちゃったか。そうそうそうなんだよねー、キラキラは作れる。キラキラは、作れる。ドロドロからキラキラを。生み出す。それが君の

日記⑯ 梔子の花を見に

今は初夏、なんだろうか。まもなく夏至だけれど、六月はどうにも梅雨の印象が強く、まだ夏と言うのを躊躇う。だけど春ではない。さすがにもう春じゃない。私は四季の中でいちばん、夏が好きだ。それどころか、「この世で一番好きな物は何か」と訊かれたら、「夏」と答えるくらいに、夏が好きだ。

 

悪い町に帰ってよかった。長い時間電車に揺られ、どんどん高い建物がなくなり、空がひらけてゆく様をみつめ、そうしてあの町に辿り着く。私の町。私の悪い町。

駅を出てすぐに大好きな鯛焼き屋さんがある。寄っていこうと思ったら2月2日からお休みになっていた。店主のおばあちゃんはもうかなりお年を召しているから、いつまで続いてくれるだろうって思ってた。

あっ、と思った。

私が最後にそこを訪れたのは1月6日のことで、その時、「いつどうなるか分からないから。永遠に伝えられないのはもう嫌だから」そう思って、おばあちゃんにこう言ったのだ。

「私、ここの鯛焼きが一番好きなんです。」

おばあちゃんはうっとりと微笑んで、

「まあ、ありがとうございます。今年もよろしくお願いします。」

と、少女のように無邪気な顔で、そして上品に、言った。ずっとずっと年下の私にこんなにも丁寧に接してくれる。美しい言葉遣いだった。おばあちゃんと、このお店がまた好きになった瞬間だった。

 

伝えたいことはちゃんと伝えていたから、そこは「よかった」と思う。無理なく、健康でいてほしい。また鯛焼きが食べれたらそれはとても嬉しいけど、本当に、おばあちゃんの体と心の安らかさが第一だから。

 

なんとなく予感はしていた、から、私はそこまで驚かなかった。悲しいし寂しくはあったけど。

 

その次の日は雨だった。どこにも行けず、犬を愛でて過ごした。

 

翌日。良いお天気だった。くもりだったのだ。歩くならこのくらいの天気がちょうどいい。

私は歩いてお寺へ向かった。けっこう歩いた。景色も空気も良いから楽しい。紫陽花が綺麗なこの季節に帰ってきてよかったと心底思った。

そのお寺は「風鈴祭り」といって、風鈴をたくさん、本当にたくさん飾るイベントを毎年開催する。去年の夏に見に行ってとても素敵だったからまた見たくて、帰ったら見に行こうと決めていた。

土曜日だったせいか、家族連れとカメラを持った若い二人組の男性と、カップルと。思ったより人が多かった。そのお寺はInstagramで有名で、そこから来る人は多い。(実際私もインスタで知ったし)

毎時間、30分に5分間シャボン玉が出るのだけど、みんなそこでカメラを構えるから同じだと思われたくなくてちょっと時間を置いて写真を撮った。彼氏が風鈴とシャボン玉を背景に彼女をムービー撮影してて、「うわぁ」と思った。インスタに載せるんだろうなぁ。たぶん別れるな!

 

風鈴には願い事が書いてある。私も去年友達と書いて、吊るした。色んな筆記で、色んな願い事が書いてある。子供も大人も。

 

まだ時間に余裕があったのでそのまま図書館へと向かった。図書館も行きたいなあと思っていたのだ。小さい頃、何度も通った場所。隣が美術館で、母が絵描きだったから、母に連れられて私と弟は何度もここに来た。美術館と、図書館と。小さい私達の幻が、たぶんそこにいる。それくらい、何度も、何度も。ずっと、ずっと。

 

図書館は静かだった。図書館や図書室のあのひんやりした空気が好きだ。静かで、清らかで、何かに没頭している、同じ空間なのにみんな別々の世界にいるような、不思議な時間。ここにいると時間を忘れる。現実が曖昧になる。本って、そういう力がある。魔力、みたいな。

図書館も図書室も、もう、一歩ドアをくぐりぬけたその瞬間から空気が違う。本当に扉一枚隔てて魔界にでも繋がってるような、あの感じは何なんだ。大好き。

学生が勉強してた。まじえらい。おじいちゃんもいっぱいいた。

本棚巡りをして、しばらく宗教のコーナーに滞在した。その中からオウム真理教の本を一冊選んで読んだ。子供が親の都合でめちゃくちゃになるのが胸糞悪かった。何が神様だ人殺し。

 

図書館の中に、お座敷になっている場所があってそこで小学生の男の子達が宿題をしていた。めっちゃ良い光景だった。眩しい。

開けっ放しの窓の向こうからちょっと非常識な声量の(図書館ではお静かに)おばちゃんたちの会話が聞こえてきた。おばあちゃんは会話の声がデカい。全部聞こえる。「あら〜」とか「こんにちは」とか世間話に始まり、こんな言葉が聞こえてきた。

 

クチナシの花を見に来たんです。でもまだ咲いてないのねぇ。すごく良い匂いだから」

 

クチナシの花を見に来たんです…!?

なんて、なんて素敵なセリフなんだろうか!ロマンティック!私も言ってみたい!「クチナシの花を見に来たんです」!言ってみたい!こんなセリフが出てくる女の人になりたい

 

帰りに、クチナシの花、多分これかな?というのを見つけた。一個しか咲いてなかった。確かに満開になったらもっと綺麗なんだろう。それは黄色の花だった。クチナシの花は咲き始めは白く、終わりが近づくと黄色くなるらしい。他の花よりも一足早く咲いてしまって、まだ仲間が目覚める前に散ってしまうのだ。かなしいけど、たった一人の鮮やかな黄色は目を引いた。近づくととても良い香りがした。ずっと嗅いでいたくなる匂いだった。

 

 

 

 

初めて。初めて、私から父に「会いませんか」と連絡をしてみた。帰って来てるので、食事でもどうですか、と。

十八の秋に会って以来だった。およそ二年半ぶりだった。

 

父は驚くほど変わっていなかった。驚くほど、なんて前置きしたけど別に今更驚かないし、「ああ、この人はずっとこのままなんだなぁ」と会う度に思う。それに対して呆れとか軽蔑とかそういうのはもうない。それらは通り過ぎた。なんだったら安心と面白さを覚えるくらい。

父に対しての私の感情も、通り過ぎてゆくのだ。いちばん激しいところを越えて、ゆっくり、ゆっくり。傷は変わらず残っている。忘れてない。でも私は受け入れていく。大人になる。時間が経つから。

私はずっと母を、幼い人だと思っていた。だけど父はその比じゃなくて、なんていうか本当に子供の頃から時間が止まっているようだった。母は多分、十九か、二十前半くらい。父は小学生か中学生くらい。そう考えたら笑えてきた。私は最近、髪を切って自分が美しくなった自信があるから、どう見ても私達親子は不釣り合いだろうなって、思った。だって私、この人のこと父親だなんて思ってないもん。大きい子供みたいだって。だらしない身なりも、運転中ずっと文句言うのも、全部「ヤバいなー」って通り過ぎてしまえるの。関係ないから。

 

父方の祖母にも数年ぶりに会った。それから従姉妹にも。本当に小さい頃に会ったきりで、もう小学六年生とかになっていてびっくりした。やっぱ子供は可愛いなぁ、この子達に会いに行きたいなぁ、と思った。

父方の家は本当にめちゃくちゃでクソヤバい。祖父が屑なのだ。アル中で、暴力とか振るっちゃう系の屑。十九の時駆け落ちして以来、祖母はずっと祖父に尽くしてきた。暴力を振るわれても、物を投げ付けられても、血が流れても。少し前またゴタゴタがあって、なんか警察沙汰になったり、祖母が貯金していた二百万持って祖父が疾走したり…とまぁ、そういう家だ。

 

久しぶりに会った祖母は白髪が増えていた。杖をついていた。可愛らしい人だと思う。でもどこか歪んでいる。この人のことがずっと分からない。初めて会った時からどことなく苦手だった。

小学生の従姉妹と、父に対しての接し方がほぼ同じだった。五十手前の男に、小学生に接するみたいに甘い口振りで話すのだ。父は祖母に、反抗期の子供みたいな態度で接する。邪険に、というか、雑、というか。そうしてもいい、みたいな。父の方が上に立っているように見える。でも違う。二人は依存し合っている。お互いに。祖母は父に子供っぽくいてもらわなくちゃ困るのだ。父だって、か弱い母さんでいてもらわなきゃ、ダメなのだ。

この家の愛の形は歪で、それも何十年、ずっと変わらない。ずっと、ずっと。誰が最初に死ぬんだろうか。そしたら何かが変わるのだろうか。変わるなんてこと、あるんだろうか。この人達の間に。

 

車の中で父と話した。

「お母さんも××ちゃん(私)くらいの頃不安定だった」

知ってる。

結婚する数年前、母が自殺未遂を何度かしたのを知ってる。母から聞いた。そんなに詳しくは知らないけど。知ってる。私のこれは今始まったことじゃないけど、でも。

「××ちゃん、お父さんの悪い所とお母さんの悪い所どっちも持って生まれてるから心配」

それ、お母さんにもおんなじこと言われた。「アンタは父親に似てネガティブで私に似て激しい」って。

知ってる。私とお母さんが似てること。私もそう思うもん。そしてお父さん。本当は貴方にもよく似てる。嫌だけど分かる。ね、貴方たち二人、おんなじこと言うのね。私ね、思うんだ。貴方たちにたくさん、たくさん苦しんできたけど、こういう時、どうしようもなく貴方たち二人の子供なんだ、って、親子なんだ、って、思うの。

 

大好きな町の午後。風が気持ちよくて、穏やかで、ちょうどいい天気で。私は父親から父親を感じたことにどうしようもない気持ちでいっぱいだった。はやく帰って泣きたかった。子供みたいにわんわん泣きたかった。苦しいわけじゃない。そういうのはもう、通り過ぎた。時間が流れてしまった。私は、まだまだ子供だけど、でも確かに大人になった。前より、ずっと。前より、少し。少し、少し。少しだけど確実に違う。それは案外大きなことで、だってもう、「許せない」とかそういう激情じゃない。凪いでるみたいだ。海が、穏やかに、ゆったりと揺蕩うように。私は船の上にいて、今はもう、波に呑まれることもなく、ただ一人ぼっちでどこか島国を目指してる。貴方たちのいない世界で幸せになることを夢見てる。

 

心配されていること、血の繋がりを感じたこと。嬉しいのか分からない。もっと大人になれたら。自分の気持ちが分かるのだろうか。正直に思うことが、できるのだろうか。

 

父が話す母の話は新鮮だった。凄く子供っぽいのだ。今になってそれが等身大の母だと分かる。母親じゃない、◯◯ちゃんな、母のこと。母の変な癖。やっぱりそうだよね、って笑った。絶対にお腹壊すって分かってるのに、いつも食べ過ぎるところ。学ばない。変なの。やめとき、って私いっつも言うんだけどね。いっつも食べすぎてお腹壊してるの。アレなんなんだろうね。

私はその時、とても娘らしく父と会話をしていたのだと今になって、こうして書いてみて気づいた。なんか、泣けちゃう。

 

もう、嫌なんだ。

貴方たちに心を惑わされるのは懲り懲りなんだ。

私は私の人生を生きるんだ。

通り過ぎて、「そんなこともあったね」って笑ってしまえるくらい。許したいんだ、貴方たちのことを。

友達みたいになればいいんだって思った。そしたら相性だってきっと悪くない。

でも、なんで親と友達にならなきゃいけないんだろう、って。苦しかったよ。ずっと苦しい。今だって。

 

私はね、貴方たちの元を離れて船の上にいるの。広い海を渡ってる。最初は小さな、ボロボロの船だったけど、だんだん自分なりにデコってかわいくて、キラキラした、ほら、ディズニーのパレードで見るような…ああいう感じになるの。行く行くは。人生ってそうじゃない?手に入れるの。自分の力を。力を持つの。

で、偶に、何処かで貴方たちと会って、ちょっとだけ滞在して、お母さんならお茶したり、雑貨屋を見たり、お父さんなら食事とか映画とか?ほんと、偶にね。数年ぶりに会ってさ。どうでもいい天気の話とかするの。もう、今更。貴方たちで泣きたくないの。いつまでこんな文章書くのかなって。多分ずっとだろうけど。会う度、私はきっと。それでも何かが変わっていく。関係も、感情も。ゆっくりと、流れていく。

 

 

花火はすると決めていたから。河川敷で、一人ぼっちで花火をした。すごく楽しかった。でも花火は、人とやる方が楽しいかもしれないと気づいた。ちょっとだけ寂しかった。

街灯が本当になくて、夜道は凄く暗い。もう暗闇だ。正真正銘真っ暗で、何にも見えない。バケツを持って帰り道を歩いいていると、私は、「今が死ぬのにとてもちょうどいい夜だ」ということに気づいた。これ以上ないくらいにちょうどいい夜だ、と。

この数日間、ずっと死ぬことを考えて生活した。今すぐじゃなくても、ああ、ここ、転落するのにちょうどいい高さだから抑えておこう、そう思いながら図書館から帰ったり、最期に何を食べよう、あのお店のシュークリームがいいんだけどな、今日開いてないな、とか。そして今、本当にちょうどいい夜だった。もうあんまり思い残すこともない。父にも祖母にも会った。友達も最近立て続けに会って、久しぶりに連絡を取った子もいた。身辺整理するみたいにスマホの写真を消した。これはいらない。これもいらない。全部消してしまおう。思ったより遅くなってしまって、早足で歩いた行きとは正反対に、帰りはノロノロ歩いた。私は私がちゃんとうちに帰ることを知っていた。そうして、自分の家に帰ることも。知っていた。

 

帰る日。昼頃には出ようと思っていたのに結局夕方になった。どうしても観たかったアニメがあって、一つ観たら止まらなくなってあれもこれも、とアルバムを捲るみたいに、あの頃好きだったものたちに触れた。

清々しい気持ちになって、明日からもまた人生頑張ろう、と思った。そうして私は、今の私が生活する街へ帰った。

また帰ろう。いつでもここに帰って来よう。ここはやっぱり、帰る場所がいい。ずっとここにいたいけど、帰る場所でいてくれる方が、いい。この町は私にとってそういう町だ。そしたらずっと好きでいられる。住むってなるとまた話が変わってくるしね。だってそういう町だもん。そこも含めて大好きなんだけど!

たぶん、次はお盆だね。私が一年でいっちばん好きな季節。それまでここで待っててね。君も、私の事が好きでしょう。私の悪い町。私達はきっと、あの頃から、十年も前から、十年経っても、

ずっと永遠に両想い。

日記⑮ 薬

生きがいが一つ消えた。辿り着いてしまえた。

ここからどうしよーっていうかべつに何も考えてないけど普通に休むけど、そうだね終わっちゃったな。

雨が上がるのを待って、この部屋の塵を全部持ってってもらって、そしたらあの町に帰ろうと決めた。ずっと帰りたかった。帰りたいって思ってた。今一番何がしたいか考えて思い浮かんだのが町に帰ることだった。じゃあもうそうしよう、って。

何気に引っ越してから帰ってないしね。去年あれだけずっといたから恋しいよ。そうじゃなくても好きな町だけど、もう一度帰る場所になっちゃったら、もう、やっぱりここが好きなんだってかなしいくらい思い知らされた。

私の町はさみしい場所だ。仄暗くて、閉鎖的でかなしいくらい美しい町だ。何も無い。人骨が埋まった公園と、かつて境界線だった川。切り崩されていく山はそのむかし、宝石が眠っていた。悪い大人が住むお城。彼が最期を迎えた地。抜け殻のターミナル、シャッター通り

私は寂しい町で育ったから、寂しくて悪い町で育ったから、寂しい物が大好きだ。

いつかこの町によく似た場所で死ぬだろう。この町がいいけど辿り着けずにくたばる気がする。

 

 

ライブに行くのは久しぶりだった。本当はもっとライブに行きたい。好きなアーティストもアイドルも沢山いるからこれからはもっとその人達に会いに行きたい。そういう人生にしたい。

「楽しい」とか「凄い」とかそのまま直球に思うだけでいいのに、私はライブですらあれこれ色々考えて受け取る。頭の中を文字の羅列が駆け巡る。これはもう何をしていてもそうだ。ご飯を食べていても、お風呂に入っていても、洗濯物を干していても、街を歩いても、買い物に行っても。ずっと考え事をしている。だから何もしてないのに凄く疲れてる。しんどい。「こうやって言語化しよう。こういうこと言おう」とか考えちゃって、ライブ自体は普通に楽しんでるし、めちゃくちゃ感動してるし、感動してるからこんなに文章が思いつくんだけど

ライブくらい真っ直ぐ何も考えず楽しめんのかい、と思って、

でも心底楽しそうに踊るあの子のパフォーマンスを見ていたら「まあべつに悪いことではないか」と思えた。

 

私は自分の性格は大嫌いだけど自分の感性は凄く好きで、性格は本当に本当に好きじゃないけど、それだけは、好きでいられるっていうか、

何を「私」というかにもよると思う。

性格の話に対しての「私」なのか、能力や才能に対しての「私」なのか

色んな私がある。

色んな事に対しての「私」がある。

私のセンスは好きだけど、性格は好きじゃない。性格はまじで好きじゃない。めんどくさいし凄く性格が悪い。性格は良い悪いじゃなく合う合わないだと思うけど、私は私に対してはほんと性格悪いなと思う。でもそこも愛せ受け入れろとか思ってるのが本当にどうしようもないと思う。でもたぶん性格なんてそんなものだ。その上で、私は私を性格が悪いと思うし、私の性格は好きじゃない。

 

だけど、感性に関しての「私」は大好きだ。私の感性は本当に好き。素晴らしいと思う。もう私は文章だけ書いてればいいと思う。あと普通に日常の着眼点が面白い。自分で自分の発想に「よくそんなこと思いつくな!」と思う。めっちゃ楽しい人。

 

なんか色々、本当に色々考えるし思うけど、毎日どうしようもないけど、私は私の文章だけは良いと思う。文章だけは、誰がなんと言おうと本当に良いと思う。良い文章を書くと思う。それしかない。それさえあれば。それがあるから。

 

告白をした。中学三年生の時の担任の先生に。恩師だった。私が文章を意識するきっかけは彼の言葉だった。同窓会で五年ぶりに会って、言おうと決めていたことを、伝えた。

 

「いつか私が本を出す時、先生、解説を書いてください。」

 

担任は「おう」と言った。馬鹿にしなかった。馬鹿にする人ではないし、馬鹿にされるとは思ってなかったし、むしろそういうの大好きだろうなと思っていたけど、驚くほど呆気なく担任は頷いた。顔色一つ変えずに。きっとあの頃の、生活ノートの「今日の記録」へのメッセージと大して変わりはないのだろう。全てにおいて愛情を持って接してくれる人だったから、今更特別に思うこともない。

自由で、大人に合わない大人。大人っぽくない大人。でも子供でもない。少年のようではあるけど。おもしろい、大人。大人になるのは、長い時間を生きていくことは面白いことなのだと彼を見て知った。

 

 

これが私の夢。

今一番叶えたい夢。叶えたいっていうか、叶えなきゃいけないっていうか。「書いてください」というのはほとんど「そうします」という宣言だった。自分への戒めのような物だ。私は書かなければならない。必ず成し遂げなければならない。そうじゃなきゃ死ねない。その前にくたばるなんて許さない。別にどんな風であれ形にすることはできる。実際、去年やり遂げだ。どんなに拙くても、技術がなくても、ちゃんとした形じゃなかったとしても。あれは確かに私の最初の作品だった。初めて自分の手で完成させた、大事な大事な作品なのだ。

 

「舞台で短編集を出しました」と言ったら、「見せろ」と言われた。めちゃくちゃ笑った。「持って来てませんよ」と言ったら「勤務先の学校に送れ」と言われた。

解説を書いてほしいと言ったら、「おう」「××中(自分の勤務先の学校)に連絡しろ」と言われた。「海鮮丼奢ってください」と言ったら「おう。いいぞ」と言ってくれた。

なんでも肯定してくれる。

それがどれだけ嬉しかったか。

 

 

また頑張るそのために今は休む。休みたい。疲れた。散々頑張ってきてきた分休んでるんだから、何も悪いことじゃない。そう、自分に言い聞かせている。

町に帰って、散歩して、大好きな鯛焼きを食べて、夏だからアイスコーヒーも飲んで、風鈴祭りに行って、犬と戯れて、一人で花火もしたい。河川敷で小さく蹲って。

 

 

あの子とチェキを撮るために、長い列に並んだ。後ろのお兄さんが話しかけてくれて、一緒に待ち時間あの子のことを話した。人と話すのは久しぶりだった。私は病んでいる(のとはまた少し違うが大体そうな)のでツイッターは誰とも繋がらないようにしている。一度に大量に呟くし、それで引かれたら悲しいので。じゃあ最初から無い方がいい。いなくなるのは寂しい。あきらめたら平気だ。けど別に人と話すのは嫌いじゃなくて、全然うれしくて、だから話しかけてもらってすごく嬉しかった。本当は語り合える相手がいるのいいなあ…と思っていたから。

そうして初めてあの子を好きな人とあの子のことを話せたのだ!すごい!なんてこと!

私がファンの人と話すあの子を見ながら、「××ちゃん、かわいいですよね(⑉ ◜𖥦◝ ⑉)」と言ったら、「…かわいいです( ˶'-'˶)」と言ったお兄さんがかわいかった。なんて世界平和な会話。

別のメンバーのファンの方に誘われてそのグループを見に行って、それが出会いだったらしい。なんて素敵なんだろうか!

「射抜かれたんですね!」と言ったら、笑って「可愛いなって思って」と答えてくれた。恋だ!

 

 

あの子の地元だったからお友達が沢山遊びに来ていた。それを遠くから眺めた。あたたかい気持ちになった。

「友達が見に来るのってどうな気持ちなんでしょうね。やっぱり恥ずかしいのかな?」という言葉を聞いて、私は

 

本当は駄目だと思うけど、「ここだけの話」と言って、自分の事をすこし話した。

 

嬉しいと思いますよ。

ここだけの話なんですけど、私、この街でアイドルやってたんです。私も友達が見に来てくれたことあって、凄く嬉しかったです。

 

そうなんですね。でも、アイドルの現場って結構(アイドルも見に)来ますよね。

 

そうですね。

アイドルはアイドルが好きです。

 

 

本当に短い間だったし、大したことはできなかったけれど、それでも私の事を好きになってくれた人がいた。最後の時、「一回話したらまたすぐ会いたくなるくらい素晴らしい人でした」と言ってもらった。それはいつも私が私の好きな人に思うことだったから「えー!恋じゃん!」って思った。何がどうして、私の何がそんなに刺さってくれたのか分からないけど、本当に嬉しかった。

 

(余談だけど、その人は私の大好きな超歌手のメジャー1stアルバム記念イベント(2014年)に行ったらしい。私より全然古参!!羨ましい!!私のブログを読んで特典会で教えてくれた。「初めて会いたいと思ったのは何かすごく会いたくて話したくて 引き寄せられたと思う」と聞いてやっぱり…通ずるものがあるのか…?!!!と思った。めっちゃお気楽な脳みそ。だけどそういうのはあるんだと思う。そういう風に思っていた方が人生は楽しい。からそう思うことにする。)

 

 

ステージに立つ彼女たちは本当にキラキラしていて、一体どれほどの努力を重ね、プレッシャーや不甲斐なさを感じて、それでも立ち上がってこの景色を見るそのために、そのためだけに、歩みを止めないで、傷付きながらここへ来たんだろう、って

これから先も、繰り返す。続ける限り。終わりまで。

今までだって散々頑張ったのに「もっと頑張る」のだ。ずっと、ずっと。その途方も無さに対して今日の光は本当に一瞬で、でもこの一瞬を知っているから、もっともっと、やるしかない。

 

アイドルは戦士だ。戦っている。それぞれの武器で。衣装やヘアアクセや髪型やメイクで武装する。必殺技を繰り出す。ウインクも指ハートも攻撃力MAXで。HPは減り続ける。だけど高揚してる。その度キラキラする。キラキラする。強い輝き。必死に戦う様が美しい。その子にしかない武器で、技で、誰かが射抜かれる。クリティカルヒット!君の勝ち。

 

 

「衣装本当に似合ってる!天使みたい!」と伝えたら、「やった〜天使になれた!」と笑った顔が本当に天使だった。天使だった。

ほくほくしながら夢から覚めた。思い入れのあるライブハウスだったので嬉しかった。

そしてこの場所も。

私のふたつめの高校がこの街にある。大都会まで電車に乗って、そこからバスで通っていた。通信制なのでスクーリングの時以外ほとんど行かなかったけど、それでもしばらく通った場所だ。

ライブハウスから本当にすぐ近く、歩いて十分くらいの場所にあるのでせっかくだから足を運んでみた。当時聴いていたアルバムを再生する。ポップに絶望してる歌。都会に出る時絶対聴く歌。どこへだって行けるって言ってくれる歌。抱きしめて抱きしめて今もずっと離さない私の大切。あの頃、これらにしがみついてなんとかこの場所まで来ていた。

学校の前まで来るとさすがに込み上げてくるものがあった。苦しかった。ちょっと泣きそうだった。泣かなかったけど。

 

苦しみながら朝マック胃に詰め込んだな、とか。なんにも分かってない先生と、凄く支えてくれた先生がいたな、とか。本当に苦しかったな。頑張ってたな。スーパーでバイトしてたな。そこで先輩に出会ったな。まさか同じ日のライブ行く予定だったなんて。色々喋ったな。次の日ライブの感想語り合ったな。野菜を袋詰めしながら、早くまたチェキ撮りたいってずっと言ってたな。

 

それから私はガクンと調子を崩し、大量に薬を飲んで、それも二回、閉鎖病棟に入院することが決まった。

 

秋だった。

高校二年生の、秋。

そこからも色々あった。良くなるために入院した病院で男性の准看護師に酷い目に遭わされるし(翌年逮捕されてた)、母親が宗教に入るし、もうめちゃくちゃ

入院してた頃も、スクーリングに通ってた。なんとか、なんとか。ほんと、すげぇ頑張ってた。

 

 

家のために頑張って、報われなかった。何にもならなかった。頑張ったら壊れた。だからもう頑張りたくない。本当に疲れた。

でも、頑張ったことには変わりない。どう考えても、あの頃私は本当に頑張っていた。ただの小学生で、子供で。

 

この傷は自分が思っている以上に深い。深いとは思っていたけど、それより、もっと、本当にもっともっと、凄く、深いようだった。根深い。私の苦しみ。

 

私は何も持ってないけど、でもこの苦しみは私の物で、私にしかない物で、私にしか分からないから、この苦しみは私にしか分からない。だから、じゃあ、これも私の物なんじゃないかって、最近閃いた。この苦しみをどうにかすれば。

文章を書いた時だけ、自分の事を肯定できる。息ができる。生み出してはじめて、ようやく自分の存在を認められる。

私は、私の性格は好きじゃないけど、文章にさえしてしまえば何でも「良い」。「良い」になるのだ。性格の悪い話でも、物語にすれば大好きだ。だって私がいちばん、私の文章の虜だからだ。私は文章になりたい。文章になるために生きている。肉体は死んだら朽ち腐るのみだけど、魂は遺り続ける。形にして、遺したら。その時、私はようやく、はじめて、文章になるのだ。私が望んだ私になれるのだ。ずっと夢見た、私に。この身体は私が文章になるための道具だ。私の文章を世に放つためだけの手段に過ぎない。いつだって、本当にいちばん大事なのは、心。あとは二の次。

 

全部文章にする。

この毎日も、この感情も、この苦しみも、愛も、全部恋みたいに書いてやる。酷い夢だ。

私は何も持ってないけど、持ってないから作ることができる。作ることができる。それは、得意だ。それがあれば大丈夫だろう。

 

あの日に飲んだ薬の味は何一つ忘れていない。全部覚えてる。やまない頭痛も、流れ続ける涙も、コップを滴る水滴も、お腹に溜まってゆく水の重さも、空の明るさも、時計の秒針の音も、木のテーブルの滑らかさも、全部、全部。

 

違法ドラッグが薬になってしまう人達。私はそっち側へは行かない、けど、それくらいの強さは、理性は捨ててない、けど、ギリギリで生きている。本当は危ない奴なんだ。みんな知らないけど。大人しくしているけど。何も話さないけど。ずっと中二病だし。

けどね

中二病からしかアイドルも魔法少女プリキュアも少年漫画もヒーローも生まれなかったんだよ。イタい病は必要だよ。だから実力のある中二病になる。

 

鬱が、絶望が、暗がりがキラキラするんだって、明るくて綺麗なものだけがキラキラじゃないって、「そんな物」って蔑まれる物が美しいって教えてあげる。私の命を使って証明してやる。たぶんその為に生まれてきた。何かを生むために。

 

 

私は、超強くてカッコいい、神様になる予定の、かわいい普通の女の子。