ストロボみたいに

ミルクティー のめません

日記⑱ 暴発

私はもうティーンエイジャーではないのだ。たった一年前のことなのに随分前に感じる。少女の一年はやはり大きい。若い。若い若い。私。

七月が来てしまった。来月は八月だ。もうすぐそこまで八月が来ている。迫り来る。近づいている。好きな季節が。蝉が鳴き始めた。私は、蝉が鳴き始めたら夏だと思っているので、夏の基準を蝉の鳴き声においているから、だから今は夏だ。でも最近凄く雨が多い。ずっと雨が続いている。一日中雨が降る。天気が悪い。の割に今日は夕陽の時間だけ眩しい光が差し込んできた。窓を開ける。雲の合間をぬって光がこっちに向かってくる。ゆるやかな殺戮のようだった。光が差すということは、時として暴力だから。とても強靭な力を持って、貫く。私が何度夕陽に殺されたか。なのにどうして光をみたいと思うのだろう。綺麗だからだ。眩しくて、綺麗。届かない。

仕事を始めて忙しくなった。私は乗り越えたのだ。冬と、春。だいたい毎年調子悪い季節。夏は元気。色んなバイトをしてきた。だから今の職種が合うんだって知った。無駄じゃなかったなって思った。理不尽に罵声を浴びせられた過去も、人に頭を下げることも、全部サラッと流して微笑むことも。できるように、なる。

幸せってありふれたものなんだなって、仕事終わりに食べるご飯が美味しくてしった。疲れてヘトヘトで頑張って、そうして食べるご飯が美味しかった。帰り道、暗い中、月の綺麗な夜にお酒を飲みながら歩く。楽しかった。このために生きてるなって思った。

そうして私は最近、普通の日常を生きている。充実している。これでいいんだ、って思った。やっとこうなれた、やっとここまで来れた、って。私がこんな風になれるなんて、って。

残酷な日々も、ヒリヒリしたあの頃も全部あったから今こうしてるんだ、って思う。

そうそう、最近、長編小説を読み終えた。分厚くて、700ページある。中学の時に途中まで読んで読み切れてなかったやつ。ついに読み終えた。面白かった。バイトの休憩時間や眠れない夜に隙間を見つけて読んだ。また、新しい本を読まなきゃ。

文章に触れたい。文章に触れていたい。なんだろう。あのみずみずしい感覚は。本を読んだら心がスっとする。軽くなる。リセットされる。浄化される。無垢になれる。洗い流されるような。あれはなんだろう。どうして。みんながみんなそうじゃない。私は文章を読むと、そうなる。「はーっ」と恋の溜息をうっとりついてしまう。文章を読むと、胸がドキドキする。苦しい。恋なのだ。痛んだり、弾んだりする。恋だから。

良い物に触れると「書かなきゃ」と思う。自分も何か、何か作らなきゃ。生み出さなきゃ。書かなきゃ。書かなきゃ。じゃないと生きてる意味ない。死ねない。

私は死にたい。

やっぱり死にたい。

日常がそれなりに上手くいっても、幸せを感じても、普通でも、楽しいことがあっても、ずっと、もうずっと鬱だ。鬱を抱えている。この体の中。私の中。覗いてほしい。触れてほしい。ドロドロしてるから。それを好きだって言ってほしい。

だから、書くね。書けば全部上手くいく。書けば、良いんだ。私は、私の文章だけは絶対にとても良いんだ。だから、頑張るね。

「書けてない」と思う。

結局、あの頃も今も、ずっと、「書けてない」と思い続けている。だから書くしかない。もっと、もっともっと書くしかない。書かなきゃ。

普通じゃ駄目なんだ。遺すなら。遺すためには。満足するな。足掻け。まだ足りないって飢えていろ。欲するんだ。それをやめるな。やめるな。やめたら、終わりだ。

二十才。半分過ぎた。何を遺せる?ここからお前はどう生きる。二度とない夏を生きるには、どうする